2029年4月13日、金曜日の夜。小惑星「アポフィス」が、地球の静止衛星よりも内側というきわどい距離まで接近する。これほど大きな小惑星がこの距離まで近づくことは、観測史上ほとんど例がない。しかも、地球に衝突する確率はゼロと断言されているにもかかわらず、NASAやヨーロッパ、日本、中国まで含めた世界中の宇宙機関がこの瞬間に向けて探査機を送り込もうとしている。
アポフィスとは何か
アポフィスは2004年6月、キットピーク国立天文台で発見された小惑星だ。大きさは長さ340〜450mほどとされ、東京タワーやエッフェル塔とおおよそ同じくらいの高さに相当する。形はピーナッツのようにいびつで、表面は岩石質。名前は、エジプト神話で太陽神ラーに毎夜挑む蛇の姿をした「混沌の神」アポフィス(アペプ)に由来する。
発見当初、この名前は決して大げさなものではなかった。初期の軌道計算では、2029年に地球へ衝突する確率が最大2.7%と算出され、小惑星の危険度を表す「トリノスケール」で当時史上最高となるレベル4を記録している。これは天文学界でもかなりの騒ぎになった。
その後、継続的な観測と、2021年3月のレーダー観測によって軌道の精度が大幅に向上し、2029年・2036年の接近では衝突の可能性が完全に否定された。同月、ESAの危険天体リストからも正式に除外されている。なお2025年の研究では、未知の小天体が衝突前にアポフィスの軌道をわずかに乱す可能性がごくわずかに指摘されているが、これは現状ではほぼ無視できるレベルの話だ。
どれくらい近づくのか
2029年4月13日、アポフィスは地球の表面からおよそ31,600〜32,000kmの距離を通過する。これは月までの距離の約10分の1で、静止衛星の軌道(約36,000km)よりも内側にあたる。ただし、ISSやGPS衛星のような低い軌道の人工衛星よりは外側なので、「人工衛星全般より低い」というわけではない。
この接近時、アポフィスは見かけの等級でおよそ3等星ほどの明るさになり、ヨーロッパ、アフリカ、西アジアの一部、合わせて約20億人が、晴れていれば肉眼でその移動を数時間にわたって観測できるという。「危険天体に分類された小惑星が肉眼で見えるのは史上初」と専門家も指摘している。これほどの大きさの小惑星がこの距離まで近づくのは、5,000〜7,500年に1度程度と見積もられている。
衝突しないのに、なぜ探査機を送るのか
ここが今回の話の核心だ。衝突の心配がないのに、なぜ各国がこぞって探査機を向かわせるのか。
理由は単純で、これほど大きな小惑星が地球の重力をこれほど強く受ける場面は、人類がこれまで一度も直接観測したことがないからだ。地球に近い側と遠い側で重力の強さが変わる「潮汐力」によって、アポフィスは自転速度が変化し、表面で岩なだれや小さな地震のような振動が起きる可能性があるとされている。さらに、この接近によって太陽を回る軌道そのものも広がり、地球軌道の内側を回る「アテン群」から、外側にも広がる「アポロ群」へと分類が変わることになる。
つまりこれは、実験室では再現できない「天然の実験」だ。小惑星がどの程度の力に耐え、どう変形し、内部がどんな構造をしているのかが分かれば、将来本当に危険な小惑星が見つかったときに、どう軌道を逸らすべきかという「プラネタリー・ディフェンス(地球防衛)」の研究に直結する。アポフィスはかつて史上最も危険視された小惑星だった、という経緯も含めて、研究対象としての価値は非常に高い。
具体的には、以下のような計画が進んでいる。
- NASA: 小惑星ベンヌからサンプルを地球に持ち帰った探査機を「OSIRIS-APEX」として再利用。接近直後にアポフィスへ向かい、2029年6月から18か月間にわたって表面や成分を観測する。表面に接近してエンジンを噴射し、地下の物質を浮き上がらせて分析することも計画されている。
- ESA(JAXAと共同): 「Ramses」ミッション。2028年に打ち上げ、接近の2か月前にあたる2029年2月にはすでにアポフィス近傍に到達し、接近の前後の変化を比較観測する。
- 日本: JAXAはRamsesに参加するほか、別の小惑星フェートンを目指していた探査機「DESTINY+」も、軌道の都合でアポフィスに接近する計画に組み込まれている。
- 中国: 清華大学の学生チームが開発した小型衛星「START」が、2028年初頭に打ち上げられ、接近に備えて軌道を調整する。
- 地上からは、米カリフォルニア州のゴールドストーンとウェストバージニア州のグリーンバンクのレーダー施設が連携し、表面の岩一つひとつまで分かる解像度で地図を作成する。
NASAの探査機が既存のミッションの再利用である点も含め、これは新たに莫大な予算を組んで挑むようなプロジェクトというより、「滅多にないチャンスを、手持ちの資産でできるだけ活用する」という、効率を重視した取り組みでもある。
まとめ
アポフィスは、もう地球に衝突する天体ではない。しかし、かつて史上最も危険視された小惑星が、衝突せずに静止衛星の内側をすり抜けていく姿そのものが、人類にとって滅多にないデータの宝庫になる。2029年4月13日の夜、ヨーロッパやアフリカの空を見上げれば、その「混沌の神」が静かに通り過ぎていくのを、自分の目で確認できるかもしれない。


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